『弱虫ペダル』の人気はチャンピオン紳士&淑女以外の方の間でも盛り上がっているようで(できれば本誌も読んで欲しいですけど/笑)嬉しく思っています。ですが一点だけどうしても気になっていることがあります。それは、
「坂道のオタク設定はどこかにいってしまった」
という風に思われがちなことです。
わたしはそれは絶対に違うと思っています。坂道はいまでもれっきとした(?)オタクです。でもはっきりと変化した部分もあります。それは一体どこなのか初期の坂道を振り返りながら考察してみようと思います。

 

◆坂道の持っていた「負」の感情
坂道は、高校に入学後はアニ研に入り、同じ趣味の友達を作り共にアニメの話で盛り上がったりアキバへ行ったりすることを夢見ていました。同じ趣味で盛り上がれる友達―…という存在を得ることに希望を持っていた坂道ですが、反面で強い「負」の感情も併せ持っていたことが伺えます。
その対象になっていたのは「運動部員」。
第1話では、柔道部員と思しき集団のランニングに追い抜かれた坂道は
「運動部は乱暴だよな―…
声大きいんだよ―… びっくりするんだよ―…」
と心の中で呟きます。たまたま横を通っただけでここまでの拒否反応。そして「乱暴」という極端な偏見を持っていることがわかります。この頃の彼にとっては「運動部員」はただそれだけで敵であったと言っても過言ではありません。


何が彼をそうさせたのかは分かりません。中学生の頃にでも嫌な目にあったのかもしれません。その上友達や話し相手のいない坂道にとっては笑い飛ばすことも、誰かに誤解をといてもらうことも出来ずただ不満だけが募っていくばかりで「敵視」せざるをえなかったのかもしれません。
そういった他人へ向けた偏見の強さが逆に自分がオタクであるということについての自信のなさに繋がり、自分が「運動部は乱暴でガサツ」と決め付けているように「アニメが好きだなんて知られたら馬鹿にされる」というような思い込みの感情に結びついていったのではないでしょうか。


その最たる例がアニ研部員募集のポスターを貼っていたときに体育教師と出会ったときの反応です。
確かにこのときの先生の反応は強引で、坂道の作ったポスターを破るという行動は少しやりすぎに感じられます。ところがこの先生、坂道の覇気の無さを指摘してはいますが「がんばって5人集めろよ!!」と「アニ研の部員募集」という行動に関しては寧ろ応援をしてくれているのです。しかし坂道は「バカにされた」という憤りしか感じていません。
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このときの坂道にとっては、運動部員や体育教師といった運動が得意な人間はほぼマイナスのイメージしかありませんでした。嫌悪のイメージが強まると、本当は坂道のことを考えて言ってくれている言葉ですらも耳に届かなくなってしまっています。
「同じ趣味の友達を作りたい」という願望は、勿論アニメやアキバのことで楽しく盛り上がりたいという願いも大きいと思いますが、「オタクで運動ができない自分を否定されたくない」という気持ちも多少含まれていたのではないでしょうか。

 

◆他人と触れることでの坂道の変化
そんな坂道が徐々に変わり始めるきっかけは、言わずもがなではありますが寒咲さん、今泉君、鳴子君たちとの出逢いです。
自転車を通して…という部分以外でも、彼は坂道の持つ偏見を和らげていきます。


寒咲さんは、初めて坂道が「運動部だけどやさしい人っている」と感じた相手です。また、彼女は自転車の話題には食いつきますが「アニ研」や「アキバ」といったキーワードを出しても嫌悪感を出したりおかしな顔をして見たりはしません。それによって坂道は「自分のイメージがすべてではないこと」と「オタクというだけで疎む人ばかりではないこと」を薄々気付いていったのだと思います。
今泉君は、対決が終わった後に坂道を自転車競技部へ誘いますが、答えづらそうな坂道を見て「無理にとは言わねェ」と話を切ります。
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そのとき坂道は「ムリに誘ったりはしないんだ…」とはっとします。既に何度も話をしている今泉君にすらその時点ではまだ「運動部」という偏見がどこかにあり、そしてそれが思い込みであったということにここで気が付いたのだと思います。
そして鳴子君とはアキバで出逢い、ほんの少しの間ですが「友達とアキバを歩く」という夢が叶います。ちなみに鳴子君は”オタク”ではありません。アニメなどの知識は薄く、自分とは正反対な鳴子君のイキオイに坂道は圧倒されつつもその人柄に触れ共に行動することに楽しさを感じます。趣味が違っていても、自分を受け入れてくれる友達と行動を共にすることは楽しいということも知り、この頃には殆ど「運動部=乱暴、ガサツ」という偏見はなくなっているのではないかと思います。


わたしは鳴子君が自分の名前を呼び間違っていることに対してはっきりと「ボク…大野田じゃなくて小野田です」と訂正をしている場面は、ひとつの進歩であると捉えています。
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名前を間違えられてそれを正すというのは当たり前のこととはいえ、今泉君からの部への誘いを断ることも出来なかった坂道にとってこれはとても大きな一歩だったのではないかと思うのです。

 

◆坂道から「消えた部分」
寒咲さん・今泉君・鳴子君は坂道がオタクということに対しては偏見をもっていません。というよりも、どうこう気にするような問題だとも思っていません。当然人にもよりますが、「オタク」というだけで人を貶めるような人ばかりではないことに坂道は気付きます。それと同時に、「運動部員」というだけで自分が今まで抱いていたようなガサツで乱暴で自分が一番正しいと思い込んでいる…というような人ばかりではない事も知っていきます。
自分だけの狭い価値観の中で生きていた坂道はこうして変わっていき、初期にはよく描かれていた他人に対しての負の感情は一切登場しないようになりました。ただ、いまだに独りきりになったときには自分の中だけで「自分はもうだめなんだ」というような思いに囚われてしまうことが多々あります。しかし「周囲の意見を素直に聞く」「友達の存在に励まされる」ことで前を向けるという意味では確実に成長しています。


坂道から消えたもの、それは負感情や自分自身のなかだけでの逃避や思い込み…という抱えていた闇の部分ではないでしょうか。もしかしたらそれが「坂道がオタクっぽくなくなった」と感じる一因なのかもしれない…とも思うのです。

 

◆オタク描写が少なくなったのは確かだけど、しかし。
渡辺先生ご自身も、
「ぱふ」のインタビュー内で「ネームの段階ではオタクネタもいーっぱい描いてるんですよ!それを、ことごとくあの人(と近くに控える担当氏を見ながら)が没にするんです。もちろん、それにはちゃんと理由があって僕も納得しているんですけど(笑)。というのも、オタクネタをやると緊張感がなくなっちゃうんですよ。」
と語られていますが、レース中・走行中の場面が非常に多い漫画ですのでオタク描写が減っていることについては仕方ない面があります。しかしだからこそちょっとした合間で描かれるオタク部分を探すのも面白いですし、渡辺先生がこう思われているのにオタク設定がないがしろになっていると思われてしまうのが非常にくやしいのです。渡辺先生の「オタク」の描き方に愛があるのは「制服ぬいだら♪」のアニ研3人組の頃から既に発揮されていることですし!


『弱虫ペダル』は自転車漫画です。そしてその主人公が「オタク」なだけです。
初期は坂道が自転車を本格的に始める前ですので、オタク部分がメインになっていたのは必然のことで、自転車描写がメインの今がそれをないがしろにしているというのは違うのではないでしょうか。今の坂道は人が見出してくれた自分の才能を信じて自転車に打ち込むという有意義な時間を過ごしつつ、アニメやフィギュアといった趣味を大切にしています。微かな描写でも、それは滲み出ていると思うのです。