『ピコピコ少年』押切蓮介
CONTINUE連載
時は1980年代の初頭。日本に革命的な存在が誕生した。その名は「ファミコン」。その存在に人々は夢中になり、熱狂した。それからのビデオゲームの進化と成長を共にした、どこにでもいたような少年が見てきた懐かしい風景が詰まった物語。それが押切蓮介先生が少年期~青年期に送ってきたゲーム三昧の日々を描いた自叙伝的作品『ピコピコ少年』です。
ファミコンとの出逢い…アーケード筐体への熱意…新たなハードに想いを寄せる日々…そして二次元へのときめき…。わたしは押切先生と同世代なこともあり、他人事とは思えない程に込み上げる懐かしさで胸がいっぱいになりました。今のように、誰しもがゲーム機を所有していた時代ではなかった。ゲーセンは仄暗く、現在ほど開かれていた場所ではなかった。しかし、そういった困難の数々がより一層ゲームへの想いを募らせる。ダッシュするときは心の中のBボタンを押していたし、意味もなく4人が縦に列なって歩いてみたりした。そんな遠くいとおしい日々が頭の中に広がっていくようでした。
少年期の押切先生のゲームへの情熱は半端なものではなく、見ていて熱い気持ちにすらなってきます。特にPCエンジンを求めての自転車一人旅は凄まじいもので、自分の
”予約していなかった「ロマンシングサ・ガ」が欲しくて(比較的近所の)お店まで自転車を飛ばして途中で転んで通りすがりの人に心配された挙句結局買えなかった”程度の行動はちっぽけなものだったと思い知らされます。このときの押切少年の思い抱く「やりたいゲーム」の中にさりげなく「ストリップファイター」が混ざっているのもたまりませんね。無許可発売のエロゲ特集がたびたび「ファミ通」に載っていたようなおおらかな時代の話です。
コンピューター相手の遊びを不健全と否定する大人たちの声はいつもわたしたちの生活からは遠いところで空回っていて、ゲームというものが繋ぐコミュニケーションもあるということを知ってはもらえなかった。この作品では押切先生がゲームを通しての友達との絆を深めた思い出と、時にはそれによって傷ついたことも描かれています。ゲームは人を熱くさせると共に、本性を引き出してしまうこともある。それが残酷な結末に結びついてしまうこともあれば、幸せな縁を繋いでくれることもある。FF5を購入する為にイトー●ーカドーに並んだというエピソード「行列少年」(イトーヨー●ドーってのがまた!)での学友山田君との友情には本気で涙しました。ゲームを遊ぶための道のりや背景、周囲にいた人たちも含めての全てが尊い思い出。”現実とゲームの区別がつかない”わけがない。現実世界にゲームがあってくれたから嬉しかったのだ。
現在の押切先生が昔を振り返る場面で、
「メンコやベーゴマで遊んでいた大人が「昔は良かった」という感覚…
きっとこんな感じだったのだろう
俺も歳を取ったってこった……」
というモノローグがありますが、まったく同意です。ドット絵やチップチューンがひとつの表現として再び見直されているいま、嬉しいけれど不思議な気持ちもあります。自分で選んだわけじゃなくとも、それが当たり前だった時代を生きてきたからだと思います。
ファミコンが生まれ、家庭に普及し始め、様々なソフトが世に生まれたその時に多感な子ども時代を過ごした我々の世代がゲームに惹かれてやまなかったことを、誰が責められると言うのだろう。そんな自分自身の青春を、ちょっぴり肯定したくなる一冊でした。
コメント
このブログにコメントするにはログインが必要です。
さんログアウト
この記事には許可ユーザしかコメントができません。