『ファイトじじいクラブ』山本健太郎 コミックビーム連載/掲載
コミックビーム期待の新人・山本健太郎先生の初単行本です。短期連載された表題作『ファイトじじいクラブ』全4話と短編『空の下の人々』『人になる』『目堂君は幸せ』『シショーカムバック』の全8話が収録されています。
『ファイトじじいクラブ』…というタイトル、そして初っ端から繰り広げられるマッチョなおじいちゃん2人のバトル。初めて見たときには、えも言われぬ気持ちになりました。おじいちゃんは、主人公である気弱な孫・リュウ太君の夢の中に登場してはガチンコバトルを繰り広げます。それも毎晩、毎晩。おじいちゃん達は何を伝えようとしているのか。リュウ太君の心の中で、確かに燃え上がるその気持ちは何なのか…。
夢の中の熱く非現実的な光景と裏腹に、現実はまだ小さいリュウ太君にも重くのしかかっています。両親の不仲、イジメっ子の攻撃。しかし幼い頃はただ逃げて泣きじゃくるだけだったリュウ太君は、おじいちゃん達のガチバトルに心を燃やし、闘うこととを心に決めます。ボーッとしていて、誰にも気付かれないままだけど、リュウ太君の胸の内にはおじいちゃんたちの多くは語らないその姿への憧れだけでいつの間にか誰よりも「強さ」への熱い想いを抱くようになっていました。
とはいえ同級生よりも身体も小さく、ケンカで対抗しようとしても軽くあしらわれる日々に自分が本当に強くなっているのか疑問を感じるリュウ太君。夢の中のおじいちゃんたちは、いつでも力強く闘っているからです。ついに一人のイジメっ子を倒すことが出来ても、辛い現実は晴れてはこない。そんなリュウ太君の悩む姿を見て、遠くで微笑むおじいちゃんたち。
本人が気付かぬうちにリュウ太君の中に育っていた強さ、それは現実を受け止め、自らの意志で正しき道を選ぶことが出来る逞しさでした。リュウ太君のはっとするような凛々しさに、両親・友達・先生・そして元イジメっ子のガキ大将トガシ君までもが惹きつけられて行きます。普段ボーッとしているリュウ太君が時々見せる眼差しの力は非常にインパクトがあり、読み手にも伝わってくる強さがあります。
リュウ太君が誕生したその日その時。父方と母方のおじいちゃんはほぼ同時に息を引き取りました。そしてその瞬間から、おじいちゃんたちはリュウ太君に「男」というものを教え続けてきたのです。…もしかしたら、リュウ太君へのメッセージがこの世では伝えられないことを悟ったおじいちゃん達がその道を選んだのかもしれないと思うと無性に泣けてきます。
そして両親が離婚を告げたその夜、リュウ太君は最後の闘いを見届けた後ある行動に出ます。それは新しい日々の始まりでもあり、おじいちゃん達との別れでもありました。小さな少年の決断と背負っていくものの大きさに、マッチョなおじいちゃん2人が並ぶ絵から最初に感じた違和感は完全に無くなって自然と涙が出てきました。
『ファイトじじいクラブ』、そして他の短編と共通して受ける山本先生の作風は重苦しいほどの現実感とそこに現れる非現実的なシチュエーションから成るミスマッチな世界観。そしてどんな非現実的な状況に立たされても登場キャラクタたちには溢れんばかりの人間らしい想いが宿っていること。たとえどんなSF的トラブルが襲ってきたとしても、人間は人間として生き、人間として思い、考えることに変わりは無い。そんなぶれない視点と奇天烈な発想の交差は山本先生にしか描けないと思います。
短編4本もどれも素晴らしいのですが、中でも特筆すべきは『人になる』でしょうか。父親の虐待というあまりにも辛い現実からの逃避の末、犬の体に脳を移植されることで自由を手に入れた少年。しかし脳裏から離れない父親の姿に戸惑い、ついに彼は牙を剥きます。…それを、”犬の本能”の所為にして。しかし牙という名のナイフを持つ手を止めたのは他でもない”犬の本能”でした。
この時の犬の語りかけがとても良いのです。
短編は『ファイトじじいクラブ』よりもどぎついリアリティがある作品ばかりですが、いずれもラストシーンでは登場キャラクタたちが微笑んでいるという共通点があり、不思議な温かみがあります。独特のペンタッチや書き文字も魅力的。こういった非凡の才能が育っていく場所がコミックビームであって欲しいと思うのです。
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