『フダンシズム-腐男子主義-』もりしげ
ヤングガンガンNo.19より。
賢帝祭編ラスト、数としてアマネとして駆け回った3日間もとうとう佳境を迎えます。数君はというと、意中の人のぞみんと初めて「数として」2人きりで向き合っているこの状況。一度は告白を試みる数君ですが、少し考えた後に漫研の部室を離れます。

「これ以上は望まないし近付かない
僕がやってしまっていることに対しての
けじめだから」

ここにきて初めて、数君が自分が正体を隠しながらアマネとしてのぞみんと親友でいることに抱いているうしろめたさがはっきりと描かれた気がします。常にバカが付く程に大真面目で真っ直ぐな数君らしい“けじめ”の意思。元々、長い時間をかけて「腐」を理解し始めたのも全てのぞみんと居るためだったというのに素の自分として想いを告げることすら封じてしまい、あくまで「アマネ」として在ろうという覚悟は切なくもあります。


そして覚悟を新たにした数君が残された時間、自分のクラスのために選んだことは、数として女装してチラシ配りに立つことでした。
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その甲斐もあってクラスは優勝、それを確認しクラスメイトには見つからないようにと立ち去ろうとした数君ですが、探しに来たクラスメイト達と鉢合わせになってしまいます。…女装姿を見られてピンチかと思いきや、アマネ時とは違う濃い目のメイクやカツラの色などが幸いしてか、数=アマネであることはまったく疑われずに済みました。…今回のことで、今までは「パープリ」としてある意味では”浮いた”存在だった数君がクラスに溶け込み、アマネとして世界を開いていったように数としても良い意味で変わってきたように思います。


また、今回それを見届けるそほらさんの視点が存在していることにも注目。と言うのも、もりしげ先生作品において、今まで「良識的な大人の視点」というものはほぼ皆無に近かったからです。
成年向け時代は言わずもがなですが、『花右京メイド隊』『こいこい7』においては根底にあるテーマとして「少年の成長」がありながらそういった視点はなく、”大人=親”は主人公と敵対する存在でした。『花右京』においての紫皇院や泉キョウジの存在は特殊なものでしたが(特にキョウジについては色々と思うところがありますがそれはまた別の機会に)優しく見守るという存在とは言い難いのです。『フダンシズム』開始時に、「主人公に普通の両親が存在している」ことも驚いたのですが、今回のそほらさんの視点は新鮮でした。あえてここで、たまたんたちではなくそほらさん一人を持ってきたところにもこれまでとの違いを感じます。
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…こうやってもりしげ先生作品を読むたびに過去作品を引き合いに出して考えるのは本当はあまり良くない気がするんですが妄想と深読みが止まりませんです。やれやれ。


…ところで…松本部長に覆い被さられているきよきよの表情がヤバイ。
色々と取り返しが付かないことになってきているけど、賢帝祭終了なのできよきよの女装も解除です。…ちょっと残念。
キリがよいところで次号は休載。次からの新展開を楽しみに待ちます。



前号感想
『フダンシズム-腐男子主義-』 ism.38 イエスと言えないフォーリンラブ
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