『猫背を伸ばして』押切蓮介/携帯コミック
押切蓮介先生の漫画日記がついに一冊の単行本に。『でろでろ』巻末には毎回収録されていた漫画日記。『ピコピコ少年』も漫画日記と言えなくもないですが、ワンテーマに特化した『ピコピコ少年』よりもこちらのほうがより「俺」な仕上がりになています。


『でろでろ』連載開始直後の切羽詰った場面から始まる物語。少年時代やバイト時代の回想も交えつつ、容赦なく襲ってくるのは誌面から滲み出るような途方も無い絶望。なんという「俺」。今でこそ押切先生は漫画家として確固たる評価を得ていると知っている分救いはありますが、それでもかなり効きます。しかしその負け要素こそが押切先生独特の世界観を築き上げる一つの要因になったのではないかとも思います。むしろ、そう考えないとやっていられないとも…。
現在にほど近い「俺」は筆ペンのドロッとしたタッチ、昔の「俺」は細めのタッチで描かれているのも特徴です。過去の方が尖っているというか、若さや勢いがある絵柄で、現在の方はある種全てを通り越して悟りに達しているかのようなどんより加減を感じます。様々なクレイジーな出来事を経て、その境地に達したのかなあ…と。


この作品において「俺」という押切先生の存在と共に象徴的なのが「母」たる押切先生のお母様の存在。『猫背を伸ばして』というタイトルもお母様の言葉から付けられています。「俺」を敵意の波が襲う中で、厳しくも心のこもったお母様の言葉にこちらまで勇気付けられる思いでした。そういう思いで読んでいると、インパクトのある言動も含めてその描写からお母様への敬意と愛情が伝わってきます。


また、この作品を語るのに欠かせないのが携帯配信時の演出について。
押切蓮介先生の携帯コミック「猫背を伸ばして」の演出がスゴい。
上は以前書いたエントリです。携帯でどういった演出が使われているかはこちらの記事をご参照ください。
携帯配信時との演出の違いと受ける印象の差は思ったよりも大きく、新鮮な気持ちで読めました。
特に大きく違っていると感じたのは第6話。このラストシーンでひろろ君が新幹線の上で膝を抱えて行ってしまう場面は演出どころか大きく削られている部分があり、誌面では正直伝わりづらいとすら思ってしまいました。本来はアニメーションでひろろ君が膝を抱える動きと、それを見る押切先生が振り返る動き(こちらに至っては1カットもコミックスには収録されていません)が挿入されます。
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(上は単行本には無いカット)
この演出の差、今までは「完成された漫画をそのまま携帯で読むもの」が携帯コミックだと思っていたので驚きました。書籍化で初めてこの作品を読まれた方にも、機会があれば携帯版を読んでみて欲しいと思います。基本的に漫画は紙媒体が一番だと思っている自分ですらそう思ってしまうのだから、「携帯コミックの可能性」は奥が深いと思います。


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