羽生生純先生がホームともいえるコミックビームで発表した怪作。単行本化を切望していた作品なので嬉しい限りです。
本当に本っ当に後味の悪い物語ですし相当グロテスクな表現もありますので決して万人にはオススメ出来ないのですが、それでも読んだ自分が何かを伝えたいと思わせる漫画。そういった要素に抵抗のない方で、特にロリコンの方に是非読んでいただきたい作品です。理由は後述。
漫画家として少年誌で作品を発表していた主人公・搬入機材(本名)。彼は雑誌側から打ち切りを食らって生活に困窮するも漫画家としての人生を諦めきれず、状況をリセットする為に一度故郷へと戻ることにしました。農家として暮らす家族から冷たく当たられる中、久し振りに足を運んだ「千人塚」と呼ばれる場所で不思議な光景を目にします。小さな祠に向かって必死で祈りをささげる少女。少女が口にしたのは「センクニンドウジサマ」という名前。センクニンドウジ…「千九人童子」とは何か。「千人塚」なのに「千九人」なのはどうしてなのか。機材はその謎多き伝説を解き明かしつつ、次回作の元ネタとして活かそうと決意します。
千人塚と千九人童子についての伝説の内容は残された文献や語る人によってだいぶ異なっていて謎は深まるばかり。そしてその中でただ一人、「千九人童子」を実際に見たというのが祠で祈っていたあの少女。孤児として一人で暮らしている少女…”ヒト”とはじめはネタの為として行動を共にする機材でしたが、次々に明らかになる事実の前で次第に機材自身にとっても彼女はかけがえのない存在となっていきます。
この作品で先ず特筆すべきなのは圧倒的な絶望感。
漫画連載という名の職を失った機材に対し、家業を捨てて出て行ったと見る家族の反応はとにかく冷たいもの。機材の態度も問題はあるのですが、話を聞く気がない相手ばかりの状況は心底キツいものです。特に母親の当たりの厳しいこと。いやしかし、それだけならばまだ耐えられたかもしれません。機材を襲うのはこの上なく残酷な事実。
ネタバレとなるのでハッキリは書きませんが、これは本当にキツい。何がキツいって、「その事実」よりも「その事実が根底にあったから親は自分を家族として見ていなかった」ことではないかと。初めから家族にはなれなかった存在。突如打ち付けられるその事実…。それによって、機材は完全に家を出ざるを得なくなり、唯一つのそこにいる理由としてヒトを守ることを決意するのです。
その決意から、ヒトの存在が急激に輝きはじめます。
たったひとりで得体の知れない”千九人童子”の存在に怯えて暮らしているヒト。地元の子供には苛めに合い、千九人童子につけられたという傷を身体に負う哀しい身の上の少女が、機材とのふれあいで彼女が笑顔を取り戻すのです。その笑顔の屈託のなさ、愛らしいことったら。
正直、羽生生先生の描く女の子にこんな気持ちを抱くとは思っていませんでした。凄いですよ。この歯とか。自分はなんちゃって二次ロリの中途半端な人間ですが、このヒトの笑顔や言動に物凄く揺さぶられたのです。なんというか、エルオー的な部分が。
「今まで出来んかったクリスマスとお正月を全部とり返したみたい!」
きっといいことなんて殆ど無かったであろう今までの暮らし。理由やきっかけは何であれ、そんなヒトの喜ぶ姿に機材もどこか、生き甲斐のようなものを感じ始めていたに違いないのです。しかし。その時間は一瞬にも満たないような時間でした。
そこから先の急転は凄まじいです。息をつかせる暇もありません。めくるめくように迫る超現実と、”千九人童子”…そして、それでも尚いたいけなヒトの存在。
うまくは言いようがありません。そこには絶望しか残りません。救いは何もないんです。”運命”に翻弄された機材の最後の叫びをどう受け止めるか。それはこの作品の本質なのかもしれないし、蛇足ともとれるもの。それは読み手によっても違うものとなることでしょう。
率直に言ってしまうと、ヒトが愛おしければ、愛おしいと感じただけのた打ち回るほど痛いような漫画なんですよ。ロリコンのひとに読んでいただきたいっていうのはそういう意味で。いや、ロリコンに痛い目に合えと言いたいわけではなくて、自分が感じたこの作品の痛みを同じ意味で理解してくれるのではないか…という気持ちに基づくものでして。そんな絶望感を平面世界のフィクションで味わうのが嫌いでない方には是非とも読んでみていただきたいのです。
漫画自体も本当に救いがない終わり方なのに、単行本巻末の後記というか注釈ではぶっ倒れているところをさらに鈍器で殴られたような気持ちになりました。後味が悪いなんてもんじゃない。だけどこの心にこびり付いて取れない痛みこそが、この作品に出逢った意味だったのではないかと思うのです。
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