週刊少年チャンピオンに連載中よりわたくしが熱狂しておりました近未来将棋まんが『永遠の一手-2030年、コンピューター将棋に挑む-』がついに単行本化されました~!!!
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本編についてのご紹介自体は連載終了直後に書いたこちらの記事(→最高の人間ドラマ、『永遠の一手-2030年、コンピューター将棋に挑む-』完結。単行本化超熱望!)で一度書いているので、今回は単行本化の際に変更された台詞及びその周辺の描写からこの作品の主題について考えてみました。
※本編未読の方にとってはネタバレとなる内容ですのでご注意ください。
 まだ読んでない方は試し読みからどうぞ!!




『永遠の一手』は、神と称される史上最強の羽内将史名人がコンピューターソフト「彗星2020」に敗北したことをきっかけに、大きく変化していく将棋界と、コンピューターと人間の関わり方を描いた作品です。
敗北の責任を感じた羽内名人が将棋界を去り、コンピューターの支援を受けた若手棋士たちが台頭し始める中、ただ一人コンピューターの支援なしで名人の座にのぼりつめる棋士・増山一郎が本編の主人公。
一郎がコンピューターの支援を使わない理由、それは羽内名人が敗北した一戦をきっかけにコンピューター将棋が「使えなく」なったこと。
その直接的な理由に関しては当初は曖昧な部分がありましたが、単行本化にあたってはっきりと変更された台詞があります。
第2話で同世代の棋士に「最強の棋士がコンピューターに負けたことがそんなにショックだったのか?お前そんなにデリケートだったか?」と問われた後の一郎の返答です。
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修正前「そんな単純なもんじゃねーよ」
修正後「デリケートで悪いか」
「あの一戦」が原因であることは修正前から言及されてはいたものの、修正によりはっきりと羽内名人がコンピューターに負けたことがショックだったから、と説明される台詞になりました。
実はそれ以前でも連載時に柱に掲載された人物紹介の文章がラスト2話で少し変更になっており、
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「一郎がコンピューター将棋を受け付けられなくなった原因=羽内名人の敗北のショック」ということが明確化されてはいたのですが、今回のこの変更は大きいと思います。


それでは、一郎がコンピューター将棋を受け付けられない体質になるほどまでのショックを受けた理由とはなんだったのか。
14歳でプロ棋士になった羽内少年を見つめる同い年の増山少年の姿も作中で描かれていますが、増山一郎にとって同い年で圧倒的な実力を持っていた羽内名人は追いかけるべき対象であり、それゆえに「生涯にわたって戦い合える」存在でした。
その羽内名人がコンピューター将棋に負けてしまった。
これは「羽内名人が負けた」ことよりも「自分が追いつくより先にコンピューター将棋によって羽内名人が将棋界を去った」ことによるショックが大きかったのではないか、という風にもとれます。
羽内名人がコンピューターに敗北するおよそ一年まえの対局当時では、一郎の実力はとても羽内名人に太刀打ちできるものではなかった。
ある意味で、一郎にとっては「勝ち逃げ」されたも同然です。その上将棋界を去り、行方をくらましてしまった相手とでは再戦の機会があるかもわからない。
さらに他の若手棋士たちはその事実を喜んで受け入れていたという状況。自分たちでは将棋の神…羽内名人を倒せるとは思っておらず、コンピューターに負けて羽内名人が去った現状を「オレ達の時代がやってきた」とまで言って受け入れていた。自分が羽内名人をいつか倒す…という覚悟を持って将棋を指していた一郎にとって、この状況が大きなストレス、苛立ちになっていたとも考えられます。


そしてもう一つ、羽内名人を負かせたソフトを開発したのは一郎の父親である増山康晴だったという事実。
羽内名人に勝ってしまったこと、将棋界を潰してしまったことを悔いる康晴に対し、一郎は「オヤジは何も悪くねぇよ」とやや皮肉めいた言い方ながらも気遣う様子は見せていました。
実際、父親の業を責めるつもりなどは一郎の心には微塵も無かったのかもしれません。しかし一切気にしていなかったとも思えません。
それは、一郎の娘であり康晴の孫娘である天才コンピューター少女・翔子があらたに将棋ソフトのチーフプログラマーとして選ばれ、名人戦に出場する棋士をサポートすると決まったときのこの台詞に現れていると思います。
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「コンピューター屋は無邪気で困る」。
おそらく無意識で口から出たこの一言は、目の前の翔子に対してだけでなくどこか父親の過去に対しての思いも込められているように感じませんか?
そうでなければ、おそらく「コンピューター屋」などという言い方にはなりませんよね。
目の前の父親を責めることも出来ず、ただ心の中で感じていたわだかまりがコンピューターアレルギーという形で顕在化したという可能性もあるのではないでしょうか。


一方で実際にコンピューターに負けて一度は将棋界を去った羽内元名人は、翔子が開発した「彗星2030」のサポートによって将棋界に復帰、名人戦で永世名人位の獲得が懸かった増山一郎名人と戦うことになります。
コンピューター将棋を受け入れられなくなるのは彼の方であってもおかしくなかった、と思いますが(実際、アレルギーとまではいかないものの目の前でソフトを立ち上げた彗星社の社長に対して一度は制す動きを見せる場面もあります)将棋界に復帰するためにはその力を借りることもやぶさかではなかったのでしょう。
しかし、一郎との対局を前に彼は「一人の将棋指し「羽内」として戦いたい」とコンピューターの支援を断ち切る決意をします。
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”コンピューターの支援が当たり前”となった2030年、泥臭いまでの努力でのぼりつめた名人と、コンピューターに敗北しコンピューターに引き戻されながらも最後は自分自身の本来の力を試したいと決意した元名人。
人間同士の熱い想いがぶつかり合う対局が熱狂を巻き起こし、結果的に将棋界は再び盛り上がることとなるわけですが…
この結末を見ていると、一郎の体質がコンピューターを受け入れられなくなった理由のひとつとして無意識のうちに自分自身がコンピューター由来の将棋に逃げることを拒んでいたという可能性もあったのではないか?とも思えてきます。
こうして羽内元名人と頂点を賭けて戦うことができるかまでは彼自身想像していなかったとしても、その日が来るまでに自分自身の本来の力を磨いていたかった…そんな思いがどこかにあったのかもしれない。


以前の記事にも書きましたが、この作品のタイトル「コンピューター将棋に挑む」は対戦相手としてではなく、将棋界の主役となるものとしての意味が込められているのではないかと思っています。
全身でそれを拒みながら一人で戦い続けたのが増山名人ならば、その思いに応えたのが羽内元名人です。戦い合ったのは増山名人と羽内元名人ですが、二人でコンピューター将棋に支配された将棋界と戦い、打ち勝った…という結末だとも捉えられます。
雑誌掲載時から大切に読んでいた作品ですが、単行本化されてまた何度も読み返しては新たな発見や考察のしがいがある奥の深い作品であることを実感しています。
特別編「異次元サイバースペース」に関しても書きたいことがあるのですがそれはまたの機会に…。